1875年の第三共和国憲法によって正式に第三共和政が発足した。普仏戦争の敗北にともなうアルザス・ロレーヌの喪失と、50億フランという高額な賠償金は、フランスの対独ナショナリズムを高揚させた。そのため、ブーランジェ事件やドレフュス事件を引き起こすことになった。
しかし、第二帝政期に急速にインフラが整備されたこともあり、工業化は順調に進展した。金融資本の形成も進み、広大な植民地やロシアなどへの投資を積極的に行った。
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外交的には、ドイツ・ビスマルクの巧みな外交政策によって孤立を余儀なくされ、この間にアジア・アフリカにフランス領インドシナ連邦などの植民地を形成させた。しかし、1890年のビスマルク引退にともなってヨーロッパ外交の枠組みが大きく変化し、1891年(交渉終了は1894年)に成立した露仏同盟を皮切りに、各国と同盟関係を結んでいった。
第一次世界大戦後の1918年のパリ講和会議ではドイツに対する強硬姿勢をとった。また、日本の提出した人種差別撤廃案に賛成するなどの姿勢も示した。1919年にヴェルサイユ条約を締結すると新しく発足した国際連盟に加入し常任理事国となった。